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宮崎の神々
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天照大御神 ににぎのみこと 木花佐久夜姫 山幸彦 海幸彦 豊玉姫 神武天皇
宮崎は、初代天皇・神武の生誕地

ジンムの系譜は名前に「ほ」を持つ神が多い。「火」であり「穂」でもありいずれにせよ稲作を連想させる。神武天皇は初代の天皇だとされている。実在したのかどうかは意見の分かれるところだが、宮崎には関連する地名や史跡が多い。例えばジンムの生誕地と伝わる高原町は南西端に霧島山高千穂峰がそびえ、その町名からは天照大御神が治めると言う「高天ヶ原」が連想される。町内には皇子原という地名があり、幼名・狭野尊(サノノミコト)に由来する狭野神社がある。産湯を使ったところには産場石(うべし)という石、産まれたときの汚れを捨てたところが血捨之木(ちしゃのき)、皇居があったところは宮の宇都(みやのうと)、誕生の際に体を祓い清めた場所が祓原(はらいばる)、ジンムがお祓いするときに使った祓川(はらいかわ)の川の水、腰掛けた石と言われる御腰掛石(おこしかけいし)がある。他にも皇子港、狭野渡、馬登、鳥居原などジンムに縁のある地名があふれている。宮崎市佐土原町にもまた、ジンムの父・ウガヤフキアエズが住んだとされる宮殿跡「佐野原聖地」がある。ここにもジンムが生まれたという話が伝わる。ジンムは今も宮崎の地に生き続けている。

神武、東征に出発!

 ジンムは15歳で皇太子となる。吾平津姫(あひらつひめ)と結婚し2人の子どもも産まれる。兄・五瀬の命と共に高千穂の宮で天下を治めていたが、2人で相談して、「どこに行けば天下を平安に治めることができるのだろう。やはり東のほうに行こう」ということになり、日向の美々津から出発し海路を筑紫に向かうことにした。このときジンムは45歳。当時の皇居の跡と言われているところが宮崎市平和台公園の近くにある皇宮屋(こぐや)。すぐそばにジンムを主祭神に祀る宮崎神宮がある。

神武天皇
出発の地、美々津

美々津は古くから関西方面との交易で栄えた港で、地元には神武お舟出にまつわる伝説がいくつも残っている。「神立山(かみたちやま)」から木を伐りだして船を造ったとか、「遠見(とおみ)」の山から毎日凧を揚げて風向きを調べたなどの話、また、美々津港の右岸にある立磐神社の境内には、船出するときにこの上に立って指揮したという岩がある。
当初は天候が悪く船出を見合わせていたところ、回復したので急きょ8月1日の夜明けに出発することにした。そんなあわただしい最中に、衣服のほころびに気づくが、時間が惜しいので脱がずに立ったままお付きの者が縫ったという。そのため美々津は「立縫いの里」の呼び名もある。
住人たちは餅を搗いて持たせようと準備もしていたが、それも間に合いそうにないので、もち米とあんを一緒に蒸して搗いて渡した。「お舟出だんご(搗きいれ団子)」は美々津の名物のひとつだ。また、早朝の出発に合わせ「起きよ、起きよ」と、人々を起こしてまわったことから、美々津ではこの日に「おきよ祭り」が行われる。
 また、沖合いに七ツ礁(ななつばえ)という岩礁があり、船軍一行は七ツ礁と一ツ礁の間を通っていき再び帰ってくることはなかったことから、この「お舟出の瀬戸」を通る船は今もない。

艱難辛苦を乗り越える

大阪湾に入り白肩津(しらかたのつ)から大和に入ろうとしたとき、大和を拠点にしていた長脛彦(ながすねびこ)というこの地の豪族の強い抵抗に会う。この戦いでイツセはナガスネビコの矢に当たって深い傷を負い、紀伊国(きいのくに)に着いたときにとうとう無念の死を遂げる。
兄を失った後も困難は続いたが、建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)やアマテラス、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)に危機を救われながらようやく荒ぶる国つ神が大勢いた大和地方の平定を終える。ジンムは橿原宮で即位し初代天皇となった。日向は天皇家のふるさとになった。
 神武東征は辛く苦しい戦いの旅であった。ジンムの曽祖父ニニギは、それまで何度も失敗した中つ国支配のために高天原より遣わされ、その子ウミサチもまた火の中から生まれ、異郷の地である海原へと出向く。天つ神の子孫たちは天下を治める運命に導かれるように、さまざまな困難に打ち勝って社会の頂点に立つ。同時に大自然の霊の力を身にまとう存在であるから、天皇家こそが代々この国を支配する存在なのだと古事記神話が語られる。

2代綏靖天皇へ

即位して天皇(スメラミコト)となった以上、ふさわしい皇后を定めなければということで、ジンムは三輪(奈良県桜井市)の大物主(オホモノヌシ)神の娘イスケヨリヒメと結婚した。その後ジンムが137歳で崩御した後、最初の妻アヒラツヒメとの間の子・当芸志美美命(タギシミミノミコト)が、皇后イスケヨリを娶り、3人いた異母弟を殺そうとした。それを知った母・イスケヨリは息子たちに知らせ、タギシミミは殺される。このときにタギシミミに実際に手を下したのは3人のうちの一番下の弟で、結果この弟が勇敢だということで2代目の天皇・綏靖天皇として即位することになる。

 

 
 
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