いのちが石のように長く続き花のように栄えることはだれしも願うことではあるが、現実にはあり得ないこと。それはたとえ天皇といえども同様で、人には寿命があるということを語るために見た目が美しいか醜いかを引き合いに出されるなんてひどい話だが、イワナガはその後どうしたのか、幸い古事記にはない話が宮崎市の隣の西都市に伝わっている。
帰されたイワナガが「自分の身を見たくない」と、鏡を遠くに放り投げたところ、東米良の龍房(りゅうふさ)山の上に引っかかってしまう。鏡が朝な夕な照らしたため麓(ふもと)が白く見えるので、村の者が山に行ってみると大きな銀の鏡があった。これを持ち帰ってお祀りしているのが西都市の銀(しろ)鏡(み)神社。「しろみ」という呼び名も「白く見えた」ということから付けられた。
米良の山に籠って人と行き来しなかったイワナガだったが、それでも生きていかなくちゃいけないので、山の中に田んぼを拓く。その田んぼでは大変おいしいお米が採れたので「良い米」、ここからこの地方が米良という地名になったと言われている。 |