美々津は古くから関西方面との交易で栄えた港で、地元には神武お舟出にまつわる伝説がいくつも残っている。「神立山(かみたちやま)」から木を伐りだして船を造ったとか、「遠見(とおみ)」の山から毎日凧を揚げて風向きを調べたなどの話、また、美々津港の右岸にある立磐神社の境内には、船出するときにこの上に立って指揮したという岩がある。
当初は天候が悪く船出を見合わせていたところ、回復したので急きょ8月1日の夜明けに出発することにした。そんなあわただしい最中に、衣服のほころびに気づくが、時間が惜しいので脱がずに立ったままお付きの者が縫ったという。そのため美々津は「立縫いの里」の呼び名もある。
住人たちは餅を搗いて持たせようと準備もしていたが、それも間に合いそうにないので、もち米とあんを一緒に蒸して搗いて渡した。「お舟出だんご(搗きいれ団子)」は美々津の名物のひとつだ。また、早朝の出発に合わせ「起きよ、起きよ」と、人々を起こしてまわったことから、美々津ではこの日に「おきよ祭り」が行われる。
また、沖合いに七ツ礁(ななつばえ)という岩礁があり、船軍一行は七ツ礁と一ツ礁の間を通っていき再び帰ってくることはなかったことから、この「お舟出の瀬戸」を通る船は今もない。 |