(国重要無形民俗文化財)
霧島東神社(旧名;霧島山東御在所両所権現社)の社家の年中行事の一つとして、祓川の集落に伝えられています。狭野と同様、400年ほど前にはすでに行われていたと考えられます。正徳5年(1715)奥書の神歌本の一部が残存しており、その古さがうかがえます。 以前は旧暦の11月16日の夕刻から翌朝にかけて、神楽宿とした民家の庭先に御講屋を設置して行われましたが、現在は12月第2土曜日に、祓川神楽殿前の広場で行われています。
集落近くで神事を行った後、祓川神楽殿前の広場で土曜日の午後7時頃から、翌朝7時頃まで夜を徹して舞われます。
舞の中には、宮崎県の椎葉方面の神楽における「宿借り神事」にも通ずる「門境」をはじめ、大人の験力を見せつけるような「剱(つるぎ)」、子供が真剣の刃を握って舞う「中入(なかいり)」(「剱」の一部分)、天神地祇12神になぞらえた12人が真剣を持って約1時間にわたって勇壮に舞う「十二人剱(じゅうににんつるぎ)」、南九州でしか見られない「杵舞」などがあります。また、神楽最初の「浜下り」では、神楽宿の老婦人に「天照大神」という役割を与えるなど要所で女性を使っており、女性祭祀の名残が見られます。 その他の特徴としては、神楽宿での行事など本祭以外の行事が良好に残存していています。 なお、地元では「(夜)神楽」とは言わず、「神舞(かんめ)」あるいは「神事(かんごっ)」と呼ばれています。「(夜)神楽」という言葉は、高千穂町などの神楽の影響を受けて使われたと思われ、地元ではあまり使いません。
昭和44年4月1日には宮崎県無形民俗文化財に、さらに昭和49年12月4日には国の選択記録無形民俗文化財に、それぞれ指定されています。 |